コラム
地域を視る「虫の眼」、「鳥の眼」、「魚の眼」② 「裸の王様」の「失敗の本質」
2017.04.18
ジャパンシステム株式会社 コンサルティングアドバイザー
淑徳大学コミュニティ政策学部准教授 矢尾板俊平
裸の王様の童話
アンデルセンの童話に「裸の王様」という話があります。たぶん、皆さんも子どもの頃、一度は読んだり、聞いたりしたことがある話だと思います。どんな話かというと・・・。
~ある国に、おしゃれ好きな王様がいました。ある日、その王様が住むお城に2人の仕立て屋がやってきて、王様に「愚かな人には見えない布地」で、とてもおしゃれな服を作ると言いました。王様は大変喜び、その仕立て屋に「愚かな人には見えない布地」で服を作らせることにしました。~
ここで、王様は、その布地が見えていないのだと思いますが、「馬鹿には見えない布地」ですから、「見えないこと」を認めれば、「自分が愚かである」と認めることになります。だから、「見えている」ふりをしているのでしょう。仕立て屋がお城の中で服を作っているところに、役人が様子を見に行きます。役人にも布地は見えていませんが、王様に、自分は布地が見えないとは言えず、「仕事は順調だ」と報告してしまいます。
仕立て屋は、服が出来上がったと王様と役人に、その服を見せますが、王様と役人はやっぱり服が見えません。でも「愚かな人には見えない布地」で作られた服ですから、その服が見えないということは認めることができず、「素晴らしい服だ」と称賛をしてしまいます。
そして、その服を着て、王様はパレードをします。最初は、国民も自分が「愚かだ」と思われたくないので、素晴らしい服だと褒め称えます。でも、王様は裸です。だって、「愚かな人にしか見えない布地」なんて無いのですから。パレードの途中、子どもが「王様は裸だよ!」と叫びます。人々はざわつき、皆が「裸だ」と言い出します。
2人の仕立て屋が上手だったのは、「愚かな人には見えない布地」という絶妙な表現をしたことでしょう。それによって、現実には「無い」ものを、「ある」ことにしてしまったのですから。いや、でも考えてみると、本当に「愚かな人には見えない布地」はあったのかもしれません。本当に、みんなが「愚か」なだけだったのかもしれません。
合理的に失敗する
これは失敗の本質のひとつでしょう。つまり、自分たちが認めたくないこと、信じたくないことがあるときに、人はそれをどうしても「認めない」心理が働いてしまうかもしれません。実は、失敗することがわかっているのに、それを認めてしまえば、自分の責任になってしまうかもしれない。だから、人々は合理的に失敗をすることがあるのです。
「失敗する」ことが、ロジカルに考えてみれば、明白であっても、わざわざ「失敗する」ということをよく目にします。これは、自分にとって不都合な事実を認めずに、その失敗を合理的に選択しているのです。その解決方法は、ひとつです。パレードの中で叫んだ子どものように、誰かがおかしなこと、不都合なこと、失敗の要因をしっかりと指摘することです。皆さんの組織では、それができる仕組みを整えていますか?
また、周りの人が「正しい」と言っているから、自分が間違っていると思っても、なんとなく正しいと答えてしまうという心理もあるかもしれません。自分は、失敗すると思うのだけど、みんなは正しいと言うから、きっと正しいのだろうと考え、異論を唱えない。なんとなく空気に流される。これも失敗の本質でしょう。また、あの人が言っているから、自分の方が間違っていているのではないかと思う、ということもあるかもしれません。「専門家が言っているから」、「経験豊富な人が言っているから」、しかし、専門家も経験豊富な人も失敗することもあり得るのです。だから、自分が、それは間違っているな、失敗するなと思ったならば、やはり声を上げることが重要なのです。
もう一人の裸の王様
ここに「優れた人にしか見えない布地」があったとします。ある有名な仕立て屋が、王様のところに、その布地で作った服を持っていきました。王様は、本当は、その服は見えていなかったのですが、「とても良い服だ」と言い、その服を買うことにしました。その服が見えていないということは、有名な仕立て屋が言うことですし、自分が「優れた人」ではないということを認めることになります。だから、その王様は、自分は服が見えているのだと自分に言い聞かせたのです。
ある日、王様の部下である大臣がやってきて、「世の中に、優れた人にしか見えない布地なんてあるわけがありません。王様は裸ですよ」と諫言をしました。すると、王様は激しく怒り、「君には、この服が見えないのかね。だから、君たちはダメなんだ。私は、この服の素晴らしさが良く見えるね」と言い、その大臣を罷免してしまいました。次々と、王様に諫言する部下たちを王様は罷免していき、最後には、お城の中には、裸の王様一人だけになってしまいました。そんなときに、隣の国が攻めてきて、成すすべもなく、王様は裸のまま敗れてしまうのです。
現実にも、こうしたことは起きうることがあると思います。例えば、有名なコンサルタントや専門家が持ってきたアイディアを、何も検証することなく、信じ込んでしまう。または、正しいことを言っている人を遠ざけて、肩書きや有名かどうかで判断して、間違った政策を鵜呑みにしてしまう。市民の幸せにつながっていないのに、また、どう考えてもうまく行く見込みがないのに、なぜか政策が実施されていき、失敗する。こうしたことを避けるためには、実は王様自身が、外部の人の意見ではなく、自分の部下の意見に聞く耳を持つことが重要です。これは、いまリーダーである人、これからリーダーを目指している人に、よく知っておいてもらいたいことです。
地方創生は失敗する
私は、政府主導の地方創生は、今のままでは失敗すると感じています。それを拙著『地方創生の総合政策論』(勁草書房)にまとめ、3月末に発刊しました。失敗しそうなのに、黙ってみているわけにもいきませんので、次回から、その話を少しずつしていきたいと思います。
※今回、「裸の王様」の童話に基づきながら展開するということは、山中光茂氏、梅本陽子氏とお話している中で生まれた発想です。お二人に感謝いたします。
矢尾板俊平(やおいたしゅんぺい)
淑徳大学コミュニティ政策学部准教授、コミュニティ政策学科長、博士(総合政策)。
2008年3月中央大学大学院総合政策研究科博士後期課程修了。2003年3月から2008年3月まで、独立行政法人経済産業研究所リサーチアシスタント、2008年4月から2010年3月まで、三重中京大学現代法経学部専任講師。2010年4月から2013年3月まで、淑徳大学コミュニティ政策学部専任講師、2013年4月から同准教授、2014年4月から同学科長。現在に至る。現在、中央大学経済研究所客員研究員、政策研究フォーラム評議員を務める。また総務省自治大学校、千葉県生涯大学校で講義を担当している。主な著書は、『地方創生の総合政策論‐DWCM 地域の人々の幸せを高めるための仕組み、ルール、マネジメント』(勁草書房、2017年)、『世の中の見え方がガラッと変わる経済学入門』(川本明・矢尾板俊平・小林慶一郎・中里透・野坂美穂著、PHP研究所、2016年)等。