コラム
ゲーム理論で俯瞰する公的部門の問題①「ソフトな予算制約の問題」
2016.03.03
ジャパンシステム株式会社 コンサルティングアドバイザー
首都大学東京 客員研究員 河重隆一郎
今回から5回の予定で、 「ゲーム理論で俯瞰する公的部門の問題」と称してゲーム理論を紹介する。 本稿が公的部門で実務に携わる方々へのゲーム理論に対する良きガイドとなれば幸いである。
ことわざにも傍目八目(おかめはちもく)とあるように、 人間は自らが置かれた状況を俯瞰することが得意ではないようである。 実際、 複数の人や組織の間におこる状況を自分が当事者でありつつも、 第三者の目で見るのは簡単ではない。 たとえば親子関係や恋愛・結婚のような身近な人間関係ですら、 あとで冷静になれば、 あの時にはこうすれば良かったと思い当たる経験が誰でも一つぐらいはあるだろう。
人や組織の間に利害関係がある場合、 ゲーム理論によって、 そこに発生する問題をシンプルに整理して分析することができるようになる。 つまり、 ゲーム理論の使い方を習得することによって、 状況を俯瞰して何が起きているのかを冷静に見る目を養うことができるのである。 近年では経済学という狭い枠組みを超えて、 広く経営・政治・法律・生物・心理学など分野でのさまざまな問題解決の手法としてゲーム理論が注目を集めるようになっている。
さて今回は、 ソフトな予算制約(soft budget constraint)と呼ばれている問題について考えてみる。
ソフトな予算制約の問題とは、 民間企業ならば倒産するところを、 政府や地方自治体の補填によって事業を継続することが可能であるような企業体において、 予算への制約が上手く働かずに、 補填による救済が際限なくおこなわれて企業体の経営者のやる気を低下させてしまう問題である。 1980年代に社会主義国の国営企業が資本主義的な経営に移行する際に発生したさまざま問題の研究がきっかけとなって、 この問題は経済学の重要なトピックとしてあつかわれるようになった([1] Kornai et al. 2003)。
しかしながら、 社会主義国の国営企業にかぎった問題ではなく、 この問題はわが国においても公的組織の民営化や規制緩和として経済政策の重要課題になっている。
地方自治体が運営する公立美術館を例にして、 ソフトな予算制約の問題をゲーム理論で考えてみよう。
地域活性化の目的で地元出身画家の作品を集めた企画展が、 この美術館で開催されるとしよう。 ただし、 この企画展は集客数などの観点から民間企業による協賛金などを得る事は期待できない。 つまり市場の失敗が発生している。 したがって、 企画展の入館料による収入と自治体からの補助金とで費用はまかなわれる。
入館料による収入は企画展の入館者数に依存していて、 入館者数の多寡は美術館の経営者による努力水準の高低と自治体によって追加される補助金の有無とに依存している。 追加の補助金は広告などに使われて入館者数の増加をもたらす。
自治体にとって追加の補助金は無いほうが望ましいために、 経営者が高い努力水準で働くこと自治体は期待する。 一方、 経営者はこの企画展に対して自治体ほどには熱心ではないために、 努力水準を低くしたいと考えている。 なぜなら、 国際的に有名な彫刻家の作品展が同時期に控えており、 そちらに注力したほうがこれら2つの展示会への総入館者数が多くなることが解っているからだ。
このとき、 経営者は努力水準の「高」・「低」を選ぶ。 その様子を観察して「低」のときに限って自治体は追加補助金の「有り」・「無し」を選ぶものとする。
いま、 経営者が「高」を選ぶと企画展の入場者数は1000人で、 「低」を選び自治体が「有り」を選ぶと800人になり、 「無し」を選ぶと200人になるとする。 さらに、 経営者が「高」を選ぶと総入館者数は2400人、 経営者が「低」を選び自治体が「有り」を選ぶと2800人、 経営者が「低」を選び自治体が「無し」を選ぶと2200人になるとする。
自治体の利得(満足度を数値化したものをゲーム理論では利得と呼び、 利得が大きいほど満足度は高い)は企画展の入場者数で表すこととし、 経営者の利得は総入館者数で表すことにする。
この状況を枝わかれする図を用いてまとめたものが図1である。
この図は、 経営者が努力水準の「高」・「低」を選択し(図では枝を選ぶ)、 その後、 経営者が「低」を選んだ場合には自治体が補助金追加の「有り」か「無し」かを選択するゲームを表している。 枝の末端には選択の結果得られる経営者と自治体の利得がそれぞれ(経営者の利得, 自治体の利得)という形式で書き込まれている。
この図をみると、 経営者は自分が「低」を選んだとき、「有り」を選ぶことが自治体にとって望ましい意思決定になっていることがわかる(800>200)。 この時、 経営者の利得は2800である。 一方、 経営者が「高」を選んだときの自分の利得は2400である。 よって、 経営者は「低」を選び(2800>2400)、 自治体は「有り」を選ぶ。 このように自治体の行動は経営者に先読みされるために、 「高」を経営者が選ぶという自治体にとって望ましい結果にはならない。
では、 経営者が意思決定する前に、 絶対に補助金の追加は無いと自治体が通告すれば、 この状況を解決するのだろうか。 つまり、 自治体が「有り」という選択肢は存在しないという通告をして、 それを経営者が信じたならば、 経営者は「高」を選ぶ(2400>2200)はずである。 このように自らの行動を事前に決めてしまうことをゲーム理論ではコミットするといい、 その行為をコミットメントと呼ぶ。
しかしながら、 ここでの自治体のコミットメントは経営者に通用しない。 なぜならば、 結果を先読みしている経営者は、 自治体が自分の利得が低くなるような選択をしないことを知っているからだ。
結果として、 美術館の経営者は低い努力水準で仕事を行い、 自治体は補助金を追加することがお互いの利益にかなう安定的な状態になっていて、 そこからは簡単には抜け出すことができない。 これが、 ソフトな予算制約の問題である。
さて、 経営者に通用するコミットメントを自治体ができるならば、 ソフトな予算制約問題は解決する事がわかった。 しかしながら、 問題解決の原則がわかる事と実際に問題を解決できる事とは大違いであることは、 読者の皆さんにはよくお解かりの事と思う。
実際の解決法の第一は、 民営化による市場競争の導入であり、 協賛企業を募ったり民間に運営を委託したりすれば良い。 しかし上記の例では、 そもそも市場の失敗が発生しているために民営化による解決法は使えない。
第二は、 予算や人員の縮小や法律などで、 自治体の裁量権を制限することである。業務仕分けや行政事業レビューは、 この例である。 しかし現実は、 大規模な公共事業の中止を決定した案件はマスコミ等で広く知らされたが、 予算や人員の縮小によって、 経営者がやる気を出して期待される成果を上げたかどうかは定かではない。
以上のようにソフトな予算制約の問題は、 明確な答えが出されているわけではなく、 経済学において現在も研究や分析が行われている。 最後に、 ソフトな予算制約問題は公的企業や行政組織に特有の問題ではない。 民間の大企業において不採算事業が長期にわたって継続されてしまうこともまた同じ問題である。
[参考文献]
[1] Kornai, Maskin and Roland(2003). “Understanding the Soft Budget Constraint”, Journal of Economic Literature, Vol.XLI, pp.1095-1136.
[2] Qian and Roland(1998). “Federalism and the Soft Budget Constraint”, The American Economic Review, Vol.88, No.5, pp.1143-1162.
[3] 柳川範之(2000) 「契約と組織の経済学」 東洋経済新報社
[4] 渡辺隆裕(2008) 「ゼミナール ゲーム理論入門」 日本経済新聞出版社