コラム
公共政策&行政改革コラム⑧ 地方は本当に財政力がないのか?
2017.12.19
ジャパンシステム株式会社 公共政策・行政改革ディレクター 山中 光茂
「財政状況が厳しいので事業ができません」「まず、財源確保をしなくてはそこにまわすお金がありません」「今後の財政状態を考慮したうえで、事業を行うかどうかを慎重に検討いたします」
全国の自治体職員による「あるある答弁」の1つである。新たな政策や事業を議会や住民から求められたときに答える常套句であるといえる。ときには、行政職員が、マニフェストで掲げた首長の政策に対して早急に取りかかることが出来ない言い訳としても使うことができる非常に便利な言葉なのである。
「財源」ってなんだろう、「財政状況」ってなんだろう、本当はこの意味について真剣に考えながら、事業のあり方について考えるべきなのだが、議会や住民として質問する側もなんとなく「財源がないのか。。。まあいまの時代だからなあ」などと根拠なく納得してしまうという現実もある。
私は市長時代に職員に対して「財源がない」という説明を議会にも住民にも行わないように、と常に話し続けていた。自治体運営の責任者として、「限られた財源」という概念はありえないと言い切れるからである。自治体運営を必ず、税収に見合った事業のみをし続けていくという想定をしたうえで、毎年の予算作成と事業執行をするのであるならば、「限られた財源」となるだろう。しかし、現実には、国も地方も「将来世代の負担」と「現在世代の負担」を天秤にかけたうえで、「現在世代からの税収」に加えて「将来世代からの借金」も前提にした行政運営をしているのである。だからこそ、極端に言えば将来世代に対する借金をすれば、いくらでも「財源」は生まれるのが現実なのである。本来、問題としなくてはならないのは、その財源の必要性、不可欠性と各種事業の優先順位の説明責任なのである。
各自治体は、税収と国からの交付税を想定した上で、財政部局が中長期の財政見通しを明確につくっている。よくいう「財源がない」というのは、この中長期の財政見通しを基準として各部局に枠配分で予算を出すため、縦割りにより予算を与えられた部局としては何かの事業を行うために、何かの事業を削らなくてはいけない、という感覚になるのである。私も市長に就任してすぐのときに、「市長査定」という概念に驚いた。予算項目のうち重要政策にあたるものだけを数十項目(自治体によっては10項目ぐらいの場合もあると聞く)を首長との協議案件として、それ以外の予算は極めて「主観なく」前年度比何パーセントの増減というかたちで機械的に分配をされるのである。
国や県になると、さらにその傾向が強くなり、だからこそ国政における大臣や都道府県知事は、「行政の長」としての役割よりも「政治家」としての役割が強調されることになり、現場に影響がでる予算の必要性や不可欠性、優先順位について議論をすることが限られた項目以外においてなくなってしまうのである。
そのような状況だからこそ、安易に「財源がない」というひとことで話をまとめられてしまう。首長も行政職員も議会も住民もすべてが1つ1つの予算に対して無責任なままで「財政」の議論がされてきたのが、これまでの「政治」と「行政」の現状なのである。
また、国と地方の財政における仕組みも「財源」の本質を不透明にしている。地方は、国によって定められた一定のルールのもとで、合併特例債、過疎債、臨時財政対策債などの地方債を用いることによって「財源」を確保し、後年度において、交付税に一定部分が算入されることを前提として事業実施をしていく。当然、地方債はどれもが「借金」であることには間違いがないのだが、「後年度に交付税に算入される」という魔法の言葉によって、事業を意思決定していくハードルが低くなり、その事業に対する明確な必要性の議論よりも「財源があるから」という理由により事業実施がされることも全国の自治体で多数散見される。
仮に借金をしても後年度に交付税算入されるのが事実だとしても、各自治体に算入される交付税には色がついているわけではなく、交付税算入された「財源」を特に借金返済に充てるとか、その予算は別枠にして財政規模を縮小していくとかそのような判断にはならず、借金が「財源」の前提になればなるほど予算規模は膨らんでいく。このシステムは、バブル期などのインフレ時代においては、結果として実質的な借金額が減っていく中で現在世代と将来世代の負担のバランスがうまくとれていたのかもしれないが、現在のデフレ時代においては極めて不透明で不適切な制度といえ、財政規模の拡大に歯止めがかけにくい状態となってしまっている。
本来ならば、「財源論」を議論したうえで政策決定をしていくのではなく、1つひとつの事業としての役割と意義、今を生きる住民の幸せや痛みへの影響、将来世代への価値などを総合的に勘案しながら、予算の配分をきめ細かに縦割りを排して決めていくべきなのである。
国と地方の財政における制度設計も見直していく必要があるが、それ以上に各基礎的自治体の首長や各担当部局の行政職員が、それぞれの職務に関わる予算やそれに伴う政策案件をきめ細かくみていくなかで、縦割りではない全庁的なスタンスのなかで必要性や優先順位を考えていくことが、結果として住民にとって本当の意味での「財源」を守っていくことにつながると考える。
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