コラム

公共施設マネジメントコラム⑬ 公共施設の今とこれからを俯瞰する

2017.05.23

ジャパンシステム株式会社 コンサルティングアドバイザー
東洋大学 客員教授 南 学

実践がすすまない公共施設マネジメント

現在、全国の自治体で、公共施設マネジメントの実践が大きな課題になっている。老朽化した公共施設が、税収の低迷の中で更新の財源が全く足りないために、施設の総面積を統廃合によって削減し、更新費用と維持管理費用を縮減しなければならないことがこの数年、大きな課題として認識されてきた。そして、「公共施設総合管理計画」の策定に結びついたが、「実践」は多くの自治体でほとんど進んでいない実態にある。

一方で、統廃合に向けての検討が進むにつれて、財源が不足することへの対応は、総面積縮減だけでなく、施設管理運営の民間委託、遊休施設・用地の売却・貸し付けによる資金確保なども含めた総合的な財源確保策であることも明確になってきた。

この観点から、公共施設マネジメントを見直すと、財源確保以外にも、365日24時間、利用面積をベースに利用実態を時間単位、面積単位で分析すると既存の公共施設の稼働率はせいぜい2,3割程度と非常に低いことがわかる。さらに、無作為抽出で市民への利用状況調査を行うと、公共施設を利用している市民は人口の10%程度という事実も明らかになり、縦割りの行政施策・組織ごとに整備されてきた個別施設の機能を見直す必要性も徐々に浮かび上がってきた。

図書館の評価指標として貸出冊数のみが異常に重視されていること、社会教育の拠点として位置づけられてきた公民館の中心的機能が安価な「貸館」になっていること、屋外学校プールの稼働時間は極端に低いこと、400メートルトラックをもつ「陸上総合運動場」がほとんど使われていないことなどである。

これらの事実は、公共施設の存在を否定することではない。縦割りの政策・施策と部局のもとでは、投入される税金に見合った利活用が十分でないことを示す実態として真摯に受け止め、地域社会の共有資産として、市民のニーズをリアルに把握し、公共施設のあり方と利活用の手法開発の課題として受け止めるべきであろう。

一方で、公共施設への関心が高まるようになると、多くの人を集める施設も話題になってきている。たとえば、東京都武蔵野市の「武蔵野プレイス」は、図書館、生涯学習センター、レストラン、青年館が複合している施設となっているがおり、入り口を入ったメインフロアにレストラン(夕方にはビールやワインも可能)があり、気楽に立ち寄ることができる。図書館の雑誌コーナーも隣接しているので、図書館への自然な流れがあり、上の階に行けばデスクや椅子を自由に組み合わせて、さまざまな活動の打ち合わせができる。

小規模な会議室と個人で学習・作業ができる部屋(一部は有料)も用意されている。図書館フロアは、セルフカウンターも用意されて効率的な貸し出し機能もあり、さらに地下2階にある青年館は、「21歳以下」を対象に自由な空間が用意されている。従来の青年館のように、指導員の指示に従ってさまざまなプログラムに「参加」するのではなく、思い思いの形態で「勝手に」利用して、「自主管理」(自分たちで利用のルールを決める)ことで、特に中高生の「たまり場」ともなっている。武蔵野市の人口は約15万人であるが、武蔵野プレイスは周辺自治体からの利用者も含めて年間170万人も来場する施設となっている。

このような「人気施設」には大きな関心が寄せられているが、このことは一方で、「利用者のニーズに応え、利用満足度も高い」施設が、実は極めて少ないという実態も示すことになった。

公共施設の整備と管理運営には税金が投入されている。国の補助金や地方債が財源となっていても、税金であることには変わらない。また、管理運営にともなう利用料金等で若干の「収入」があっても、大半の財源は税金であるから、納税者に等しく還元されること、つまり、最大限の利用者を集め、満足度も高いことが原則と考えなければならない。

ところが、「公共施設は行政目的のためにあるのだから、採算性は考えずに税金で維持運営をするのは当然」という考え方が、まだ一般的であり、維持管理運営に緊張感が欠ける場合が多い。税金の投入を当然とするのであれば、納税者全員が利用できるように考えるべきであるが、「行政財産」という表現によって、意識も実態も「使用規則に従って、限られた行政目的に使用することが好ましい。秩序が維持できているのが大切で、利用者の多寡は大きな問題ではない。」という感覚が、行政の側も、特定の利用者の側にもあるのは残念なことである。

公民連携への流れと課題

昭和38年(1963年)の地方自治法の改正によって、同法第二百四十四条で、「普通地方公共団体は、住民の福祉を増進する目的をもつてその利用に供するための施設(これを公の施設という。)を設けるものとする。」と規定されて「公の施設」という概念が確立した。

その当時は、経済成長率が年率10%を超える高度経済成長の時代であり、人口も急増していたために、国も自治体も税収増が続き、その支出先としての公共施設の整備も拡大した。財源に余裕があったので、公共施設であるから公共(公務員)が管理運営することは当然のことと考えられていた。

それから30年が経過した平成3年(1991年)に、地方自治法の改正によって、公の施設の管理運営業務の委託は、設置自治体が二分の一以上出資した団体に対してであれば可能というように規定された。オイルショックを契機にして1970年代の後半には大きな経済成長が見込めなくなり、税収も伸び悩むようになったので、効率的な管理運営を行うためであった。

一般職公務員は、公共施設運営の専門性を持たないし、2、3年のローテーションで異動することも多い。勤務形態も固定的なので、「外郭団体」を設立して専門性を持った職員の活用やフレキシブルな勤務に対応するためであったが、結果は「第二役所」とも言われるような運営で、十分な効果を上げることができなかった。

その結果として平成15年(2003年)の地方自治法の改正によって、指定管理者制度が誕生した。専門性をもった職員の雇用と一貫した管理運営体制の構築のために、複数年の期間設定を原則とし、施設管理運営の大部分を民間に委ねることができるという大きな構造改革であった。施設管理運営を「公営」主軸から「民営」主軸へというこれまでの行政運営の発想転換ともなっている。

この底流は、1970年代から、サービス経済化が進展し、また、効率的な経営が要求されるようになったので、民間に経営と顧客ニーズに合わせたサービス開発のノウハウが多く蓄積が行われたという時代の変化実態である。

一方で、管理運営を民間に委ねる傾向が一般的になったことによる課題も生じてきた。サービスノウハウの質よりも、委託料や指定管理料といった経費削減を目的とするケースが多くなったことである。毎年給与号級が上昇する公務員の固定的な「給与表」によって、公務員の給与が高止まりする一方で、民間における経常業務を対象とした人件費は削減傾向が続き、公民の給与格差が大きくなったことは一般に理解されている。このために、施設の管理運営における経常費は、特別な業務改善への工夫がなくとも民間に委ねることで削減できることになり、表面的な経費削減の側面が強調される傾向が強くなってしまった。

公共施設における質的・量的なサービス拡大よりも、経費削減の効果が強調されたことによって、民間の側も人件費を削減することが「競争力」を高めることとなり、「官製ワーキングプア」という言葉まで生まれる状況が蔓延し、公共施設を通じた行政サービスの低下も指摘されるようになるという、民間委託への否定的な傾向も生じてきた。

縦割りの政策分野ごとに整備・運営されてきた公共施設の固定的な利用形態に発想がとどまり、時代や市民要望の変化に対応した柔軟な管理運営がなされなかったので、「民間委託の目的は経費削減」というような「誤解」が広がったのではないだろうか。社会の共通経費を税金で賄うという原点と、公共施設の本来の目的からすれば、設置目的を十分に達成できる専門的な運営ノウハウと、効率的な運営の二面を考えるのが当然であることを再度確認する必要がある。

経費削減のみを追求した結果、施設の稼働率も利用者比率も改善されず、利用拡大に向けた市民ニーズの取り込みも遅れたところに、老朽化の時代を迎えたのである。老朽化した施設の更新を検討したら、時間単位・面積単位での稼働率は非常に低く、運営の質も低いので、利用者も限定されている状況が進んでいることが明確になったこの段階で、ようやく、公民連携によって、公共施設への「集客」(利用)拡大と経営効率化への視点が芽生えてきたとも言える。

拡充の時代には、政策的課題の一つ一つに、施設を整備することができ、その成果を十分に検証する必要はなかった。しかし、「縮充」の時代では、一つの施設でも稼働率と利用者比率を高めて、多目的に活用する必要が出てきている。

施設の目的を明確にするとイノベーションが生まれる

上述のような経緯を考えると、公共施設の老朽化、陳腐化とサービス内容の低下、稼働率と利用率の低さの原因はどこにあるのかといえば、自治体の職員にあると言っても過言ではない。ここに言う自治体職員という表現は、特定の個人を指すのではなく、組織を構成する人間の存在を強調するものである。日本の組織の多くは、ピラミッド型の組織形態・意思決定形態をもち、個人よりも集団としての意思決定に重きを置く構造となっているので、「組織責任」とした場合には、責任の所在が不明確になることが多い。

「うちの組織には危機感がたりないよ」という「ぐち」を聞く機会が多い。組織責任という観点からは、「自分は正しいのだが、組織としては改善の余地がない」という「不満」が強調されることが多いので、ここでは、あえて、自治体職員の責任という表現を使うことにしたい。

これは、イノベーションは、組織としてよりも個人の才覚と努力によって起こされ、それを組織として支えることができて初めて実現するという実態を踏まえてのことで、従来型の公共施設運営の発想を転換し、真に、地域住民の要望に応える施設運営を実現するために、組織よりも個人の「やる気」に期待するという主旨である。公共施設マネジメントの現段階で重要なのは、イノベーションの基本である職員個人の新しい発想と、その「やる気」を側面から承認するトップの姿勢、そして、行政の機能だけでなく、民間の知恵と資源を活用し組み合わせる「公民連携」の手法である。

トップの支援が重要なのは、縦割りの行政組織にあっては、トップ(首長)のみが、縦割りを越える存在であり、4年毎に民意による「洗礼」を受けることで、地域住民の要望を反映できる存在であり、その実現と担保する権限、特に庁内の人事と予算に関する権限を持っているからである。

直接にイノベーションを担当することがなくとも、職員のイノベーションを側面から支援する姿勢が重要となっている。なぜならば、イノベーションは既存の体制や利害関係に影響をあたえることから、大きな抵抗を受ける可能性が強いので、職員個人の力ではなかなか突破することはできないし、組織そのものも既存の仕組みによって成り立っているので、トップの支援は成否の鍵を握っていると言っても過言ではないからである。自治体の場合は、トップとボトムの両方が揃わないと、イノベーションは難しい。

関連コラム

カテゴリー一覧へ戻る